大判例

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仙台地方裁判所 昭和42年(ヨ)405号 判決

債権者

砂子俊雄

ほか一一〇名

右代理人

斎藤忠昭

ほか一一名

債務者

川岸工業株式会社

右代理人

三島卓郎

主文

債務者は債権者らに対してそれぞれ別紙賃金目録記載の各金員を仮に支払え。

訴訟費用は債務者の負担とする。

事実

((債権者らの申立および主張))

債権者らは「主文同旨」の裁判を求め、その理由として次のとおり述べた。

第一、債権者らは、いずれも法形式的には申立外仙台工作株式会社(以下仙台工作という)に雇傭されていたものであるが、同社は昭和四二年六月分の賃金である別紙賃金目録記載のとおりの賃金を債権者らに支払いをせず、加えて昭和四二年七月二五日解散をしたことを理由に債権者ら全員を解雇した。

したがつて債権者らは、全金宮城地本川岸仙台支部から僅かばかりの生活資金を借り受けるなどして何んとかその日暮しの生活をしているものである。

第二、ところで債務者川岸工業株式会社(以下川岸工業という)は鉄骨橋梁等の生産を目的とする会社であるが、仙台工作との人的物的関係からみた場合いわゆる「法人格否定の法理」の適用を受け、債権者らに対し右賃金の支払義務を負担しているものであるところ、仙台工作との間の法人格の独立性を主張して右賃金の支払いを拒否している。

そこで以下右「法人格否定の法理」を論じたうえ右川岸工業と仙台工作および債権者らとの関係を明らかにする。

第三、法人格否定の法理について、

一、一人会社の場合、その株式会社は社団法人たる実態を欠くに至るからその社員は有限責任の利益を受ける実質的根拠がない。したがつて一人会社の単独社員たる株主は会社債権者に対し直接責任を負担すべきである(松田二郎著株式会社法研究一九九頁以下・松田二郎・鈴木忠一共著条解株式会社法(上)一二頁以下参照)。

二、仮に一人会社の株主は右の如く直ちに会社債権者に対して直接責任を負担しないとしても、親子会社は①危険負担の分散回避②人事管理上の必要性特に社外工員の引きとめ又は子会社として社外工員供給会社を作るなどの必要性③税金対策④労務対策特に従業員の労働攻勢の緩和又は組合勢力の弱体化を図るなどの必要性⑤乱用目的特に不当取引架空取引による損益の操作・財産隠匿・強制執行免脱などの関係から作られることが多いといわれ(法務省民事局第五課長田代有嗣著親子会社の法律一頁以下参照)特に一人会社の場合は経済的にはその会社と株主は完全な同一体をなしているから、取引に関する事項などについて少くとも両者はまさに同一体としての取扱いを受けるべきものとされている(田代有嗣前掲書四二頁参照)。したがつて利害関係人に対する関係で親子会社は(親子会社に限らないが)時には法規解釈上会社制度を認めた法目的ないしは衡平の原則の要求から会社法人格を否認すること(特定の法律関係において株主とその会社との間の法人格の独立性に限界を設ける論)あるを認める必要ありとされている。これが法人格否定の法理である。

三、そこで法人格が否定される場合(会社法人格の独立性に限界が定められる場合)の要件を本件に即してみるに、第一に①株式所有による支配②役員兼任による支配③契約による支配(例えば専属下請契約など)④実質的支配(例えば物の賃貸借契約を通じて事実上その契約条件にしたがい貸主が借用人を支配する)などにより親会社が子会社を支配し、第二にこの支配が現実的であることを要するとされているほか、会社設立の法形態に乱用が存する場合、例えば会社の利用による第三者詐害の方法として過少資本の会社を設立しこれに融資物の貸与などの方法をとつて有限責任を利用すること又は不当労働行為により子会社を解散しながら(偽装解散も含む)子会社の債権者に対しては有限責任の原則および会社の独立性を利用するなどの場合は、第一に右客観的乱用の事実が存在することのほかに、第二に株主に主観的乱用の目的が存在することを要するとされている(広島大学政経論叢第七巻三号・四号・第八巻一号・三号蓮井良憲著「会社の独立性の限界―一人会社を中心として―」私法第二四号・加美和照著「会社法人格の限界と否認」、新労働法講座所収・橋詰詳三著「会社解散と不当労働行為」、判例時報五五一号登載・福岡高裁昭和四三年一〇月一六日判決・最高裁昭和四四年二月二七日第一小法廷判決、下民集一一巻一号一九四頁千葉地裁昭和三五年一月三〇日判決、同民集四頁熊本地裁八代支部昭和三五年一月一三日判決、など参照)。

したがつて右要件にしたがい債務者川岸工業と仙台工作との関係の実体および債権者らとの関係を事実をもつて主張することにする。

第四、債務者川岸工業の設立から現在に至るまでの沿革

一、資本構成

川岸工業は、昭和二二年三月川岸太一郎が大阪において創立した個人経営の川岸工業所および同工業所九州支店戸畑工場を母体として二代目川岸重義が主体となり、資本金三五万〇、〇〇〇円で大阪に設立したのに始まるが、昭和二四年一月資本金三、〇〇万〇、〇〇〇円に増資、昭和三三年二月本店を九州福岡市に移転、昭和三五年三月資本金六、〇〇万〇、〇〇〇円、翌三六年一月資本金一五、〇〇万〇、〇〇〇円に各増資し、同年九月資本金一〇、〇〇万〇、〇〇〇円の川岸鉄工株式会社(本店東京)を吸収合併したうえ、同年九月東京と九州に支店を設け、同年一一月資本金七四、〇〇万〇、〇〇〇円に増資、翌三七年一月本店を東京に移転、株式を東京株式市場第二部に上場、同年七月資本金一億三〇、〇〇万〇、〇〇〇円、同年一二月資本金二億〇〇、〇〇万〇、〇〇〇円、昭和三九年資本金三億〇〇、〇〇万〇、〇〇〇円に各増資し現在に至つている。

二、役員構成

設立当初の初代代表取締役社長は、前記川岸重義・常務取締役九州支店長は工藤栄(現代表取締役社長)が就任したが、昭和二七年一一月からは右工藤栄が代表取締役社長に就任し現在に至つており、昭和三一年からは同工藤栄の実弟工藤憲男が平取締役として就任、昭和三二年から昭和四二年後記仙台工作が解散した直後頃まで同人は代表取締役専務となり、加えて昭和三六年八月からは右工藤栄の娘婿である福島勲が代表取締役専務に就任し現在に至つており、そのほか昭和三六年八月矢作勇が平取締役に就任昭和三九年一一月から川岸工業千葉工場次長・昭和四三年一一月からは常務取締役に同人は就任して現在に至つている。

三、物的設備である所有工場数の変遷と現状

川岸工業は設立当初は、工場は九州戸畑工場のみであつたが、昭和三四年牧山工場を設置、昭和三六年八月川岸鉄工株式会社を吸収合併したため同社所有の仙台工場を取得、翌三七年更に千葉第一工場を設置、昭和四〇年九月三〇日(第一九期決算時)現在における所有工場は、

①小倉工場(有形固定資産二億五四、八五万三、〇〇〇円)

②牧山工場(同資産二億二一、六二万五、〇〇〇円)

③大阪工場(同資産三五、一三万一、〇〇〇円)

④千葉第一工場(同資産七億二三、〇一万五、〇〇〇円)

⑤仙台工場(同資産八一、二四万一、〇〇〇円)

⑥徳山工場(同資産一億三〇、三〇万四、〇〇〇円)

⑦佐世保工場(同資産一七、七九万六、〇〇〇円)

⑧東港工場(同資産九一、八一万四、〇〇〇円)

⑨福山作業所(同資産一七、七二万四、〇〇〇円)

の九工場となつたが、

昭和四一年九月三〇日(第二〇期決算時)現在における所有工場は、右①の小倉工場②の牧山工場③の大阪工場④の千葉第一工場⑤の仙台工場⑥の徳山工場⑨の福山作業所の七工場となり、

昭和四二年九月三〇日(第二一期決算時)現在における所有工場は、

①小倉工場(有形固定資産二億六三、九九万〇、〇〇〇円となり第一九・二〇期決算時より増加)

②牧山工場(同資産一億八一、四七万一、〇〇〇円となり第一九・二〇期より減少)

③大阪工場(同資産五八、四三万六、〇〇〇円となり第一九・二〇期より増加)

④千葉第一工場(同資産六億三四、〇三万四、〇〇〇円となり第一九・二〇期より減少)

⑤千葉第二工場(同資産二四、〇二万一、〇〇〇円新設工場)

⑥仙台工場(同資産七三、九六万七、〇〇〇円昭和四二年七月工場閉鎖により第一九・二〇期より減少)

⑦徳山工場(同資産一億六三、五二万五、〇〇〇円となり第一九・二〇期より増加)

⑧福山作業所

の八工場に増減し、

昭和四三年九月三〇日(第二二期決算時)

現在における所有工場は、右①の小倉工場および②の牧山工場は昭和四二年一一月設立された資本金四〇、〇〇万〇、〇〇〇円の川岸興産株式会社(全株を川岸工業で所有)に譲渡し、従来からの工場は右③の大阪工場(但し有形固定資産一億〇七、七三万九、〇〇〇円に増加)④の千葉第一工場(但し同資産六億三七、六六万四、〇〇〇円に増加)⑤の千葉第二工場(但し同資産二四、二八万四、〇〇〇円に増加)⑥の仙台工場(但し同資産六六、七八万四、〇〇〇円に更に減少)⑦の徳山工場(但し同資産一億六三、九七万六、〇〇〇円に増加)となつたほか右⑧の福山作業所が福山工場(同資産八八、一八万八、〇〇〇円に増加)になつたため、

合計六工場に再び減少している。

四、関連会社数とこれに対する株式所有率・役員兼任数ならびに取引関係

(一)  昭和四〇年九月三〇日(第一九期)現在における関連会社数とこれに対する株式所有率および役員兼任数は、

① 小倉工作株式会社(資本金九、〇〇万〇、〇〇〇円株式所有率九五パーセント・役員三名)

② 牧山工作株式会社(資本金五〇、〇〇万〇、〇〇〇円・株式所有率九〇パーセント・役員二名)

③仙台工作株式会社(資本金四、二〇万〇、〇〇〇円・株式所有率一〇〇パーセント・役員二名)

④千葉工作株式会社(資本金二〇、〇〇万〇、〇〇〇円・株式所有率四八パーセント・役員三名)

⑤千葉工事株式会社(資本金二、〇〇万〇、〇〇〇円・株式所有率六二パーセント・役員二名)

⑥徳山工作株式会社(資本金二〇、〇〇万〇、〇〇〇円・株式所有率八八パーセント・役員一名)

⑦佐世保工作株式会社(資本金一、〇〇万〇、〇〇〇円・株式所有率一〇〇パーセント・役員三名・但し第二〇期決算時において株式償却)

⑧東港工作株式会社(資本金六〇万〇、〇〇〇円・株式所有率二五パーセント・役員一名・但し当期決算時において解散第二一期決算時において株式償却)

⑨株式会社川岸工事(資本金三、〇〇万〇、〇〇〇万円・株式所有率一〇〇パーセント・役員三名)

⑩栄進化学株式会社(資本金六、二五万〇、〇〇〇円・株式所有率二四パーセント・役員一名)

の一〇社であり(以下小倉工作株式会社を小倉工作といいその他の会社も同様呼称する)

昭和四一年九月三〇日(第二〇期)現在時における関連会社数とこれに対する株式所有率および役員兼任数は、

①小倉工作(九五パーセント・二名)

②牧山工作(九一パーセント・一名)

③仙台工作(一〇〇パーセント・二名)

④千葉工作(四九パーセント・三名)

⑤千葉工事(六三パーセント・二名)

⑥川岸工事(一〇〇パーセント・〇名)

⑦栄進化学(二四パーセント・一名)

の七社になり、右徳山工作は当期決算時において解散・株式は第二一期決算時において償却し、

昭和四二年九月三〇日(第二一期)現在における関連会社数とこれに対する株式所有率および役員兼任数は、

①小倉工作(九八パーセント・一名)

②牧山工作(九二パーセント・一名)

③千葉工作(四九パーセント・三名)

④千葉工事(八三パーセント・二名)

⑤川岸工事(一〇〇パーセント・〇名)

⑥栄進化学(二四パーセント・一名)

の六社に減少して仙台工作は昭和四二年七月二五日解散し、当期決算時においてその株式は償却され、

昭和四三年九月三〇日(第二二期)現在における関連会社数とこれに対する株式所有率および役員兼任数は、

①千葉工作(四九パーセント・三名)

②千葉工事(八三パーセント・二名)

③栄進化学(二四パーセント・一名)

の三社に新らたに、

④川岸興産株式会社(資本金四〇、〇〇万〇、〇〇〇円・株式所有率一〇〇パーセント・役員一名)が加わつたが、

前記小倉工作と牧山工作は、合併して資本金五九、〇〇万〇、〇〇〇円の西日本川岸工業株式会社となり、その際川岸工業所有の株式はいずれも九州電力株式会社・八幡製鉄株式会社などに譲渡されたほか、前記川岸工事は解散されてその所有する株式は当期において償却し、その関連会社は更に四社に減少した。

(二)  しかも右栄進化学および川岸興産を除いては、解散された各会社などを含めていずれも前記三の各工場を借用して川岸工業の受注する鉄骨工事などにつき同川岸工業から鋼材の現場供与を受けながらこれに賃加工を加える下請工事を専属的になす取引関係にあつたものであり、昭和四一年九月三〇日現在における小倉工作・牧山工作・千葉工作・仙台工作の各資本金とこれらに対して貸与している川岸工業の有形固定資産とを同資産を一〇〇として対比してみるとき、①小倉工作三ないし四パーセント②牧山工作二五パーセント③千葉工作二ないし三パーセント④仙台工作五パーセントとなつている。

五、工藤栄およびその一族の川岸工業に対する株式所有率

工藤栄およびその一族として川岸工業の主要株主となつている者には妻工藤貴美恵・長男工藤弘太郎・次男工藤健二・次女工藤恵美・長女福島敏江・実弟工藤憲男・娘婿福島勲らがいるが、

昭和四一年九月三〇日現在においては、

①工藤栄(23.8パーセント)

②工藤貴美恵(4.5パーセント)

③工藤弘太郎(1.7パーセント)

④工藤健二(1.7パーセント)

⑤工藤恵美(1.1パーセント)

⑥工藤憲男(2.5パーセント)

⑦福島勲(3.2パーセント)

⑧福島敏江(1.1パーセント)

合計39.6パーセント

昭和四二年九月三〇日現在においては、

①工藤栄(11.2パーセント)

②工藤貴美恵(4.5パーセント)

③工藤弘太郎(1.7パーセント)

④工藤健二(1.7パーセント)

⑤工藤恵美(1.1パーセント)

⑥福島勲(3.2パーセント)

⑦福島敏江(1.1パーセント)

⑧川岸商事株式会社(16.6パーセント・尚これは工藤栄が発起人となつて設立した会社である。)

合計41.1パーセント

昭和四三年九月三〇日現在においては、①工藤栄(15.4パーセント)

②工藤貴美恵(4.5パーセント)

③工藤弘太郎(1.8パーセント)

④工藤健二(1.5パーセント)

⑤工藤恵美(1.2パーセント)

⑥福島勲(3.2パーセント)

⑦福島敏江(1.2パーセント)

⑧川岸商事株式会社(16.6パーセント)合計45.4パーセントとなつて現在に至つている。

第五、川岸鉄工株式会社(以下川岸鉄工という)の設立から川岸工業に吸収合併されるまでの沿革

一、資本構成とその所有する有形固定資産

川岸鉄工は、昭和三二年二月、川岸工業代表取締役社長であつた工藤栄、今野鉄工株式会社の実質的有力株主となつていた今野畠蔵らが発起人となつて資本金一〇、〇〇万〇、〇〇〇円で設立され、本店を東京に営業所と工場およびその設備を仙台に置いていたものの昭和三六年八月前記川岸工業に吸収合併された会社であるが、仙台に有するその有形固定資産は仙台市原町小田原字大梶五二番の一・五二番の二五五番の一・五六番・五七番の一・五九番・同小田原字念仏壇二一番合計8,297.5平方メートル(2,510坪)の工場用地と、右大梶五五番の三(元仙台工作所有地)所在家屋番号三八番木造亜鉛メツキ鋼板葺平屋建居宅床面積40.49平方メートル(12.25坪)右大梶五五番の一・五五番の三(元仙台工作所有地)五五番の四(元仙台工作所有地)五六番・五七番の一・五九番・右念仏壇二二番の一(元仙台工作所有地)二三番の一(元仙台工作所有地)二八番(元仙台工作所有地)の連続地上所在家屋番号六四〇番鉄骨造亜鉛メツキ鋼板葺二階建工場総面積5,143.56平方メートル(1,555.94坪)ほか、付属建物として鉄骨造亜鉛メッキ鋼板葺平屋建配電室床面積36.36平方メートル(一一坪)鉄骨造亜鉛メッキ鋼板葺二階建工場総面積34.558平方メートル(104.54坪)、同念仏壇二二番の二(元仙台工作所有地)二三番の一(元仙台工作所有地)の連続地上所在家屋番号六三八番木造瓦葺二階建事務所総面積140.72平方メートル(42.57坪)合計総面積5,888.58平方メートル(1,781.3坪)の建物および右工場に設置のクレーン・工作機械などその価格八千数百万円に及ぶものである。

二、役員構成

昭和三二年二月設立当初からの代表取締役社長にはその頃資本金三、〇〇万〇、〇〇〇円本店および工場を九州に置く川岸工業の代表取締役社長であつた前記工藤栄が、取締役仙台工場長にはその頃資本金一、五〇万〇、〇〇〇円本店を仙台市堤通に置く今野鉄工株式会社の実質的有力株主であつた今野富蔵が、仙台営業所長には前記川岸工業戸畑工場長であつた熊谷繁東がそれぞれ就任したが同年八月には取締役副社長として前記福島勲(工藤栄の娘婿)が就任し、昭和三六年三月右工藤栄が代表取締役社長の地位を右福島勲に譲つてから僅か数カ月を経て前記一のとおり同年八月川岸鉄工は川岸工業に吸収合併された。

第六、仙台工作(設立当初は今野鉄工株式会社と称し、後に今野鉄骨工事株式会社・株式会社川岸仙台工場の各商号を経て仙台工作となる。)の設立から解散に至るまでの沿革

一、資本構成とその所有する有形固定資産の変遷

(一)  仙台工作は、昭和三一年三月資本金一、五〇万〇、〇〇〇円で今野鉄工株式会社として設立され、本店および工場を仙台市堤通一〇八番地に置いたが、昭和三三年三月同市原町小田原字大梶五五番の三の川岸鉄工仙台営業所と同一地に本店を移転し、その頃商号を今野鉄骨工事株式会社に、同年八月二四日に株式会社川岸仙台工場に順次変更し、昭和三七年二月二、五〇万〇、〇〇〇円、翌三八年三月四、二〇万〇、〇〇〇円に資本金を各増資のうえ、昭和三九年六月再びその商号を仙台工作に改めた会社で、その株式は設立当初から昭和三九年五月二七日までは殆んど今野富蔵とその一族で所有していたが、同月二八日その全株式を川岸工業で取得したため商法上全くの一人会社となり、昭和四二年七月二五日累積赤字が一億数千万円になつて営業継続することが不可能となつたことを理由に解散されたものである。

(二)  そしてその所有する有形固定資産は、昭和三九年五月右一人会社となるまでは、仙台市原町小田原大梶四一番・四九番の四・五五番の四・同小田原字念仏壇二二番の一・二二番の二・二二番の三・二三番の一・二八番合計3,881.87平方メートル(1,174.27坪)の工場用地(川岸鉄工工場用地の約二分の一強)と右大梶四二番の三所在家屋番号四二番の三木造瓦葺二階建宿舎総面積293.38平方メートル(88.75坪)の建物(したがつて工場建物はなかつた)のほか鉄骨加工に使用する工作機械の一部と小工具を有していたが、右一人会社となつた際右工場用地と建物全部が川岸工業に対する債務支払いのためなどの代物弁済としてその所有権を川岸工業に移転し、その所有する不動産は全くなくなつてしまつた。

したがつて右一人会社となつてからは、川岸工業から後記のとおり貸与を受けていた有形固定資産と比較して僅かの工作機械用具と事務用具を除いては全く不動産の持たない(勿論独自の工場も持つていない)殆んど単に約二〇〇名強の従業員のみを抱える会社となつてしまつたものである。

二、役員および主要幹部社員などの人的構成

昭和三一年設立当初は、実質的に有力株主であつた今野富蔵の実弟であつた高橋正人が代表取締役に就任したものの、昭和三三年三月本店を前記大梶に移転した頃から代表取締役に右今野富蔵が、監査役には元川岸工業戸畑工場長でその頃川岸鉄工仙台営業所(前記のとおり川岸工業に吸収合併されてからは川岸工業仙台営業所となる)長であつた熊谷繁東が各就任した。

しかしながら昭和三八年一二月右今野富蔵が事実上代表取締役の地位を降りてからは、仙台工作の経営は、川岸工業代表取締役専務東京支店長であつた前記第四の二および五・第五の二の福島勲(工藤栄の娘婿で川岸鉄工が川岸工業に吸収合併される直前頃同鉄工の代表取締役社長)同様川岸工業取締役であつた前記第四の二の矢作勇らがこれに当り、翌三九年二月代表取締役社長に川岸工業の役員兼務で右福島勲が代表取締役仙台工場長に高橋利一郎(仙台工作設立当初からの社員で今野富蔵退陣の頃仙台工作の平取締役に就任していた者)取締役に川岸工業の役員兼務で右矢作勇同取締役にその頃川岸工業仙台営業所長であつた石峰稜がこれも兼務で各就任したほか、昭和三六年頃から同仙台営業所員であつた永淵日義が工場次長兼工務課長に任命され、昭和四一年三月右高橋利一郎が事実上代表取締役仙台工場長の地位を辞任してからは、同年六月二〇日頃までひとまず川岸工業の仙台工作に対する出向社員であつた長谷川玖一が右工場長に任命され、その後は同工場長に前千葉工作(川岸工業千葉第一工場を借用して川岸工業受注工事の専属下請をしている会社で代表取締役は右福島勲)の社員で元川岸工業労働組合共斗会議議長であつた岩本昭三が、経理課長には前川岸工業本社経理課長であつた高山尚三が川岸工業の出向社員として川岸工業仙台営業所長(任命当初は所長代理)兼務で、また工作課長には右千葉工作の社員で同工作の労働組合役員であつた深山昭が各任命されたほか、同年一一月には右岩本昭三も更に仙台工作の取締役に就任し、その頃から川岸工業代表取締役専務であつた前記第四の二および五の工藤憲男(工藤栄の実弟)が来仙右福島勲に代り事実上仙台工作の代表者としてその経営に携わるようになつて翌四二年一月三一日同福島勲に代り代表取締役に就任し、同年四月一日から仙台工作の経営機構に従来なかつた営業部を設けてからは、右高山尚三がその営業部長をも兼務するようになつたが、前記第六の一の(一)のとおり同年七月二五日仙台工作は解散するに至つた。

三、仙台工作と川岸鉄工、川岸工業間の営業的関係、

川岸鉄工は、川岸工業の主要株主で代表取締役社長でもあつた工藤栄が、鉄骨工事の受注に関して東北、北海道方面への進出を意図し、仙台市堤通に本店を設置して設立されていた今野鉄工株式会社の事実上の有力株主であつた今野富蔵らと共に昭和三二年二月本店を東京に置いて設立した会社である。かような訳で代表取締役社長には右工藤栄取締役仙台工場長には右今野富蔵が就任したことは前記第五の二のとおりであるが、仙台営業所は右今野鉄工の所有土地である仙台市原町小田原字大梶五五番の三に設置したうえ、自己所有地と右今野鉄工所有地にまたがる工場用地に宮城県工場誘置条例の優遇措置を得て前記第五の一のとおりの仙台工場を建設し、昭和三三年三月頃からその工場施設全部を川岸鉄工受注の鉄骨工事などを専属的に下請することを条件に右今野鉄工に貸与した。

したがつて、今野鉄工は、川岸鉄工仙台工場が完成してからは川岸鉄工の受注する鉄骨工事などの専属的下請会社となり、その営業内容は、川岸鉄工発注の鉄骨工事につき主として川岸鉄工から現物供給を受けた鋼材に賃加工を加えることを業としていたもので、この関係は、川岸鉄工が前記第五の一のとおり川岸工業に吸収合併されてからは川岸工業においてこれを承継して右今野鉄工が前記第六の一の(一)のとおりの商号を経て仙台工作となり昭和四二年七月二五日解散するに至るまで一貫して変らなかつた。

四、仙台工作と川岸工業間の一般従業員に対する業務、人事、労務の面からの関係、

(一)  川岸工業仙台営業所は、主として東北方面の鉄骨工事の受注活動をしていたが、その陣容がそろつていなかつたので、その工事の受注単価の精算、鋼材の検収保管および仙台工作においてなした工事の出来高査定の事務などの補助は従来から仙台工作の従業員によつてなされていた。

(二)  したがつてまた、仙台工作の従業員に対する給与、労働条件の決定、人事労務対策などのほか、具体的生産目標の決定に至るまで仙台工作が前記第六の一の(一)のとおり一人会社になつてからは全て川岸工業本社の決定にもとづいてなされていた。

第七  仙台工作の解散に至つた背景と実態

一、ところで仙台工作が解散したのは累積赤字一億数千万円にも及んだことによるとされているが、仙台工作は川岸工業とその人的、物的および営業的関係からみて全く経済的社会的に一体化しその一体性はむしろ単に合併手続をとらないだけの強固なものになつていたものであるから右解散は仙台工作独自の単なる累積赤字によるものではない。むしろこれは川岸工業の別会社方式を基調とする経営政策によるものということができる。

したがつて以下この点を明らかにする。

二、キャラバン商法の基本型態としての別会社方式の経営政策、

(一)  鉄骨工事は、受注請負形式による営業活動であるから、これが営業には、他産業に比して発注先に対する納期の厳守が強く要請されると共に、その利益の主たる部分は加工賃よりも鋼材使用による利鞘そのものにあるといわれている。

(二)  したがつて川岸工業は、常に鋼材を仕入れて通常これをストックしながら鉄骨工事の受注活動をしていたが、より多くの受注活動をなすためには、仕事のある地域に工場を建設しては営業活動をなし、仕事が少くなくなればその工場を他の仕事のある地域に実質的に移転して計画的に受注事情をみながら営業活動をすることがより経済的に利潤をあげることができる(これをキャラバン商法という)と共に、これが工場を他の独立した法人格者に貸与して同工場に就業する従業員を右他の法人格者に帰属する者をもつて専属的に当てれば、新受注先開拓による営業の危険性を分散することが可能になり、株式会社の有限責任制度を利用するときは、全くもつて自己の所有する有形固定資産を守ることができること(危険負担の回避)、また受注請負の特質からくる納期の厳守のための人事管理の強化、右工場移転に伴う従業員の集団的配置転換に対する労働攻勢を回避するためには、社外工を確保することが最も容易であるが、右専属下請会社の従業員をもつて自己所有の工場の生産活動に当てれば、あたかも社外工も使用したと同様の結果を得ること(労働攻勢の回避)ができることに気付いた。

(三)  そこで川岸工業は、その手初めに前記第六の三のとおり昭和三一年度下半期からの投資ブームに乗つて東北、北海道方面への営業活動の拡大を意図し、その頃倒産した株式会社今野鉄工所の残存資産を基礎に設立された前記第六の一の(一)の今野鉄工株式会社の営業権を足がかりとするべく、代表取締役社長であつた工藤栄の資本を通じて右今野鉄工の実質的有力株主であつた今野富蔵の資本と結びつき前記第五の川岸鉄工株式会社を設立のうえ、宮城県工場誘致条例の優遇措置を利用してその有形固定資産八千数百万円にも及ぶ仙台工場を建設し、これが施設全部を昭和三三年三月頃右今野鉄工に専属下請会社となることを条件に貸与し、東北方面の鉄管工事の受注活動を始めたほか、九州戸畑市に有する自己所有の戸畑工場に就労する従業員のみをまる抱えする株式会社川岸戸畑工場(後に前記第四の四のとおり小倉工作となる)なる会社を右工場から分離設立して前記第四の四のとおり同会社に右戸畑工場を今野鉄工に対すると同様川岸工業の専属下請会社となることを条件に貸与し、これが工場と会社の関係が類似する工場および関連会社数は、前記第四の三、四のとおり昭和四〇年九月から、昭和四三年九月まで僅か四年間の間でも増減変遷しているようなことでも明らかなように、そのキャラバン商法を実現し、特に昭和四二年八幡製鉄が千葉県に君津工場を建設すると、これが工事などの受注を目的として同工場敷地内に君津工作所を設置し、仙台工作において貸与を受け使用している機械の一部転用を意図したり、仙台工作の解散により解雇した従業員の一部を同工場の社外工として就業させたりしたほか、昭和四五年開催の大阪万国博の工事受注を当て込んでは昭和四三年に大阪工場の設備を拡大し(前記第四の三参照)、四国、本州の夢のかけ橋が計画されるや前記第四の四の(一)のとおり一旦徳山工作を解散して徳山工場を他に賃貸するなどしていながら自社の従業員を派遣してより直接的経営に乗り出し、また日本鋼管が福山に大工場を建設するや、これが工事などの受注を当て込んで前記第四の三のとおり福山作業所を福山工場に格上げして設備拡充を図るなどの経営方式をとつてきた。

したがつて仙台工作の解散もこれは、川岸工業がキャラバン商法の一犠牲として解散したものということができる。

三、解散権の乱用としての仙台工作解散の計画性

そこで次に右川岸工業のキャラバン商法を仙台工作にのみ焦点を当ててみることにする。

(一)  まず川岸工業の主要株主は前記第四の五のとおりその代表取締役社長である工藤栄とその一族で占められていること、川岸鉄工の人的、物的構成は前記第五のとおりであること、仙台工作と川岸鉄工との人的、物的営業的関係は前記第五第六の三のとおりであること、しかも川岸鉄工設立の動機は前記第六の三のとおりであつてその役員の構成とその変遷が前記第五の二のとおりであるところから明らかなように、川岸鉄工の前記第五の二のとおりこれが川岸工業への吸収合併は、その設立当初から予定されたものであつて、加えて右工藤栄を通じてみるときは仙台工作と川岸工業とは川岸鉄工設立当時から全く無縁のものではなく、むしろ外形的には姉妹会社たる川岸鉄工と右工藤栄を通じての事実上の支配従属関係(工場貸与を受けることの条件下においての専属的下請契約を通じて)即ち親子会社の関係にあつたものということができる。

そして川岸鉄工が川岸工業に吸収合併されてからはその親子関係は直接的となり、特に前記第六の一の(一)同二、三、四のとおり昭和三九年五月川岸工業が仙台工作の全株式を取得してからは、役員、主要幹部社員などの人的構成、従業員の業務の混同、人事労務対策生産目標の決定などとあいまつて仙台工作は、川岸工業と完全に一体化し、その実体は単に形式的な法律上の合併手続をとらないだけの経済的社会的には吸収合併会社の実質を有するようになつた。

(二)  ところで仙台工作は如何なる理由で右の如く川岸工業と一体化したかというに、これは仙台工作は昭和三八年三月三一日の決算時までは全て黒字の利益が計上されていたことから、川岸工業はより直接的にその利益の収奪を図るため、折よく同年一二月の年末一時金支給斗争で全金労働組合川岸仙台工場支部(仙台工作の従業員で組織された労働組合、以下仙台工作労組という)の労働争議があつたことからその労働攻勢を利用するとともに、川岸工業の仙台工作に対する融資債権の弁済を強要するなどしてその当時仙台工作の代表取締役であつた今野富蔵を仙台工作から追い出し自から仙台工作の株主となつてこれを乗取つた結果にほかならない。

(三)  ちなみに、川岸工業の仙台工作に対する利益収奪の状況を明らかにするに、川岸工業の仙台工作から得た利益は昭和四二年三月以前は毎月約四〇〇万〇、〇〇〇円昭和四〇年九月期には年約五〇、〇〇万〇、〇〇〇円翌四一年九月期には年約四〇、〇〇万〇、〇〇〇円に達していたので、この昭和四一年度の四〇、〇〇万〇、〇〇〇円の利益を同期における川岸工業の仙台工作に対する全投融資額一億三四、七四万〇、〇〇〇円(土地、工場などの建物その他工作機械など一切の有形固定資産八二、三〇万四、〇〇〇円、短期貸付金四八、二三万六、〇〇〇円、資本金四、二〇万〇、〇〇〇円)に対する利回り率として算出し、これと昭和四一年九、一〇月期一年間の鉄鋼業界の主要会社である八幡製鉄、富士製鉄、日本鋼管、川崎製鉄、神戸製鋼、住友金属の各子会社に対する投融資額とこれに対する利回り率とを比較してみるとき、最高の日本鋼管の利回り率11.4パーセントと比較してもこれの2.6倍右会社の平均利回り率7.63パーセントと比較すると何と約3.9倍の29.69パーセントの利益を川岸工業は仙台工作からあげていたことになり、しかも仙台工作の解散は川岸工業側にいわせれば累積赤字一億数千万円にのぼつたからと説明しているが、その殆んどの負債は川岸工業に対するものであつたものである。

(四)  ところが、川岸工業は、総額約7.8億円の投資をして千葉第一工場を建設し、その営業活動の主力をこれに移すや、右の如く利益の収奪を図り他方において仙台工作の従業員の仕事を奪いながら下請工場の育成を図つて仙台工作の従来の外注費が受注高の約一五パーセントから多くても二七パーセントであつたものを昭和四一年からは受注高の三六パーセントから多いときは六〇パーセントに上昇させて急激にその累積赤字を膨脹させたほか、昭和四一年九月三〇日決算時における累積赤字が五一、三三万四、〇三三円であるといいながら昭和四二年四月からは一切の融資をしないこととし、右赤字額からするならば如何なる債務の支払いも短期間にすることが不可能であることを計算に入れてあえて右四月からは月間二、〇〇万〇、〇〇〇円のリース料(工場等の賃貸料、看板料、貸付金に対する利息などを包含する名義)を仙台工作は川岸工業に支払うこと、若し仮に同リース料を支払えないときは催告なしに直ちに仙台工作は貸与を受けている仙台工場を川岸工業に明渡す旨の契約を結んだうえ、昭和四二年三月の収支決算においては仙台工作の川岸工業から受注した工事利益金全部を川岸工業の仙台工作に対して有するという債権に相殺充当したとして支払わず、仙台工作を解散した。

したがつて仙台工作の解散は株主たる川岸工業の不当取引および不当な利益操作による計画的解散である。

四、解散権の乱用としての仙台工作解散の不当労働行為性

仙台工作の解散は右のとおり計画的解散であつたものであつたが、他面においてこの解散は川岸工業が株主たる地位を利用して仙台工作労組の破壊を目的とした解散でもあるものである。

したがつて最後にこの点を明らかにする。

(一)  川岸工業は前記のとおりその営業が受注請負方式であつたため特に発注先に対する信用保持のため工事納期の厳守が至上命令となつていたことおよび労働組合に対する前近代的感覚からして労働組合を蛇蝎の如く従来から嫌つていた。したがつて川岸工業まで労働組合結成の動きがあつたのは昭和二六年頃からであつたが、会社側の恫と切りくづしにあつてその日の目を見ることができず、昭和三〇年末からの極秘による準備によつてようやく結成に成功した。

すると川岸工業は早速自からの危険負担の回避と右労働組合の努力分断を図るため、従業員の身分を川岸工業と別個独立の法人格を有する会社に帰属させる別会社方式の経営政策をとることとし、自己の所有する戸畑工場に就労していた従業員のみを抱える株式会社川岸戸畑工場なる会社を右労働組合の抵抗を恫ときりくづしによつて排除し強行設立したうえ、従業員持株制度を導入して組合役員を重役に登用したりした。

そしてこれに味をしめた川岸工業は、前記第四の三、四のとおり工場を建設してはこれに就労する従業員を抱える○○工作株式会社なる別子会社を積極的に各工場とは切り離して設立などして意図的に労働者の一体的団結を阻止してきたが、子会社単位に結成された各別の労働組合が結集し昭和三九年に川岸工業労働組合共斗会議が結成された。そしてそのうち仙台工作労組がその中核的存在になつてきてからは、折から仙台工作から前記三の(三)のとおり利益の収奪を図ることと、昭和四一年頃から千葉県君津工作所の建設とこれが機械設備の補充を仙台工作において使用する機械の転用によつてまかなうほか、同工作所の社外工確保の方法として仙台工作従業員の一部の配置転換を考えていたことから、これが実現のためには右組合の強力な抵抗を予想し事前の壊滅を意図していた。

(二)  そこで川岸工業は、前記第六の二のとおり高橋利一郎が昭和四一年三月仙台工作の代表取締役工場長の地位を事実上辞任してからは、まず前記三の(三)のとおり急遽計画的に利益の収奪を図りながら仙台工作の累積赤字を作り、他面において前記第六の二のとおり労働組合の内情に精通した岩本昭三、深山昭を仙台工作の工場長や工作課長にそれぞれ任命し直ちに職能給制度をとり入れた職制改革を図つて組合の自発的分解を図ろうとしたうえ、前記三の(四)のとおりリース料支払制度に切換えるいわゆる新体制をとり入れるに際し仙台工作労組の抵抗を排除することと右(一)の目的実現のため同労組委員長などを工場長に就任要請をしたりしてこれが勢力の弱体化と懐柔策を図つたが、同組合は川岸工業の意の如くならなかつたことから従来の組合対策では右労組の勢力破壊は不可能であることを知り組合員全員解雇を目的として本件解散に至つたものである。

したがつて川岸工業の仙台工作解散は、債権者ら労組員に対する不当労働行為性を隠ぺいせんがための解散権乱用の解散である。

第八  結論

よつていずれの事由にせよ川岸工業は債権者らに対する関係では法人格否定の法理の適用を受けるから、債権者らは債務者川岸工業に対し申立のとおりの裁判を求める。

(債務者の申立、申請理由に対する認否および反論)

債務者は、「債権者らの申立を却下する。訴訟費用は債権者らの負担とする。」との裁判を求め、申請理由に対する答弁反論として次のとおり述べた。

第一、申請理由としての事実に対する答弁

一、①第一(債権者らが仙台工作の従業員であつたが、別紙賃金目録記載のとおりの昭和四二年六月分の賃金の支払いを受けていないことなど)の事実、

② 第二の「債務者川岸工業が債権者らに対する関係で法人格否定の法理の適用を受け、債権者らに対し右第一の賃金の支払義務を負担している」旨の部分を除くその余の同第二の事実、

③ 第四(川岸工業の沿革……一資本構成、二役員構成、三物的設備である所有工場数の変遷と現状、四関連会社数とこれに対する株式所有率、役員兼任数ならびに取引関係、五工藤栄およびその一族の川岸工業に対する株式所有率)の事実、

④ 第五(川岸鉄工の沿革……一資本構成とその所有有形固定資産、二役員構成)の事実、

⑤ 第六の一、二、三、四の(一)(仙台工作の沿革……一資本構成と所有有形固定資産の変遷、二役員および主要幹部社員などの人的構成、三仙台工作と川岸鉄工、川岸工業間の営業的関係、四の(一)仙台工作の一般的従業員と川岸工業間の業務上の関係)の事実

⑥ 第七の二の(一)(鉄骨工事の他産業に比しての特質)の事実、

⑦ 第七の二の(三)の「川岸工業の意図経営政策などについて記載した主観的部分」を除く同第七の二の(三)の客観的存在部分の事実、

⑧ 第七の三の(一)の「川岸鉄工の川岸工事への吸収合併はその設立当初から予定されていたものである。仙台工作は川岸工業と川岸鉄工設立当初から無縁ではなく、むしろ親子会社の関係にあつた。仙台工作は従業員の業務の混同人事労務対策生産目標の決定などとあいまつて川岸工業と完全に一体化し、その実体は単に形式的な法律上の合併手続をとらないだけの経済的社会的には川岸工業に吸収合併された会社と同一の実質を有していた。」旨の部分を除く同第七の三の(一)のその余の事実、

⑨ 第七の三の(三)(川岸工業の仙台工作から得た利益、川岸工業の仙台工作に対する全投融資額、その他債権者らの主張する計算を基礎とした場合のその利益率)の事実、

⑩ 第七の三の(四)の事実中、「川岸工業は総額約7.8億円の投資をして千葉第一工場を建設したこと。川岸工業は仙台工作の昭和四一年九月三〇日決算時における累積赤字が五一、三三万四、〇三三円であるといつたことがあること。川岸工業は仙台工作に対し昭和四二年四月からは一切の融資をしないことにしたこと。そして右四月からは月間二、〇〇万〇、〇〇〇円のリース料の支払いを仙台工作から受けることにし、若し仮に同リース料の支払いができないときは川岸工業は催告なしに直ちに仙台工作に対し貸与している川岸工業仙台工場の明渡しを請求することができる旨の契約を結んだこと。昭和四二年三月の収支決算において川岸工業は仙台工作に対して負担していた工事利益金の支払い債務を自己の仙台工作に対する債権をもつて全額相殺した。」旨の事実、

はいずれもこれを認めるが、その余の事実は認めない。

二、ところで債権者らは、「川岸工業と仙台工作との間の資本的関係、人的物的営業的関係、川岸工業仙台営業所において受注する工事の受注単価の精算その他鋼材の検収保管などの業務関係、営業活動である生産目標の決定、人事労働条件などの決定関係から、川岸工業と仙台工作との間は経済的社会的に一体になつている。また仙台工作の解散は川岸工業のキャラバン商法にもとづいた結果の計画的なもので、しかも仙台工作労組を破壊するためのものであつた。」旨の主張をしているので、債務者は次のとおり反論する。

(一)  まず川岸鉄工の設立の動機は、川岸工業が東北、北海道方面への進出の意図を持ち仙台工作をその足がかりとすべく設立したものである旨債権者らは主張するが(第七の二の(三)、三の(一)の主張参照)、川岸鉄工は工藤栄個人と今野富蔵その他川岸工業となんら関係のない者らが発起人となつて設立されたもので川岸工業とは資本的関係営業的関係は全くなかつたものである。

右設立はむしろ仙台工作の前身で倒産会社であつた申請外株式会社今野鉄工所の従業員の救済と同社の残存施設の活用などの目的もあつて右発起人らが設立したものである。

したがつて川岸工業は仙台工作とも川岸鉄工を吸収合併して同鉄工と仙台工作間の営業関係を承継するまでは全く無縁であり、ましておや右合併が川岸鉄工設立の当初から川岸工業において予定していたということも全くない。

(二)  次に債権者らは、川岸工業はキャラバン商法を行うため多数の工場を建設すると共に関係会社を設立し、仕事がなくなればその工場を他に移転し関係会社を解散した旨主張するが(第六の二の(三)の主張参照)、川岸工業としては関係会社の使用する工場を移転したことはなく、まして関係会社を解散させたこともない。

東港工作や徳山工作は債権者らの主張どおり解散しているが、これは経営不振により倒産した結果解散したものであつて、しかも同解散の頃川岸工業と関係した会社が新しく設立された事実もない。

即ち、東港工作は累積赤字金七六、一四万三、五二六円に達し、徳山工作は同赤字金五五、〇二万一、六一一円に達してそれぞれ倒産したものであつて、その当時における川岸工業の東港工作に対する貸倒債権は金七四、九〇万五、二六〇円、徳山工作に対する同債権は金四二、六一万五、二四〇円にも達した。したがつてこれがため川岸工業は第一九期決算時以降経理の行づまりこそ生じたものである。

尚佐世保工作の株式は他に売却譲渡したものであり、川岸工業徳山工場は右徳山工作の解散に伴いその直後頃一時閉鎖したものの直ちに申請外山口工事株式会社に賃貸し現在に至つているものである。

(三)  次いで、債権者らは、川岸工業と仙台工作は、経済的社会的に一体化している旨主張するが(第六の四、第七の三の(一)(三)の主張参照)、かような事実はない。

川岸工業は、川岸鉄工を吸収合併したのに伴い川岸鉄工と仙台工作との営業関係を承継したので、それ以後仙台工作と取引上の提携関係こそ持つようになつたが、仙台工作の代表取締役今野富蔵がその地位を退くまでは、仙台工作は完全に今野富蔵とその一族によつて支配され川岸工業から全く独立した経営がなされていた。

したがつて仙台工作は川岸工業が右承継を受けてからは川岸工業の専属下請会社になつていたが、しかし川岸工業としては仙台工作に対して自からの鉄骨工事の受注活動を禁じたことはなく、むしろ川岸工業において仙台工作の全株式を取得した後においても仙台工作は、本工事に対する追加工事あるいは細かい鉄骨工事などは独自の立場でこれを受注したりしていたものである。

そしてまた仙台工作の従業員の業務関係については、なるほど川岸工業仙台営業所において受注する工事の受注単価の精算、出来高査定につき仙台工作の従業員一名を専従として使用し、右仙台営業所においてなす鋼材の検収保管数量の検査などの業務につき仙台工作の従業員二、三名を従事させていたが、右専従については同人の給料分を川岸工業において仙台工作に支払つていたものでむしろこれは仙台工作から川岸工業への出向社員というべきものであり、その他の検収などの業務については、これは二ないし三日に一回程度時折なされていたもので、しかもその従業員数は仙台工作の全従業員数と対比してみるとき僅か二ないし三パーセントに過ぎなかつたうえ、仙台工作独自で行う補助材料の手当と川岸工業から供給された主鋼材などを仙台工作の各生産係に手交する仕事に附随して行う場合が多かつたものであり人事、労務対策などについては、経理課長になつた高山尚三の人事移動についてはなるほど川岸工業の仙台工作に対する出向社員であつたが、その余は全て当時仙台工作の代表取締役であつた福島勲が決定したものであり、仙台工作にはその他独自の取締役会、管理職会議、職制機構、就業規則、文書様式などを有して労働組合との賃金問題などの交渉も仙台工作独自においてなされていたものであつて川岸工業と一体関係にあつたものではない。

(三)  次に債権者らは、仙台工作は収益性に富んでいたため川岸工業においてこれを乗つ取り利益の収奪を図つていた旨主張するが(第七の三の(二)(三)の主張参照)、仙台工作はむしろ収益性に乏しい会社であつて、川岸工業において仙台工作の全株式と不動産を取得した直前ともいうべき昭和三九年三月決算期において累積欠損金一三、五六万一、二三一円を出していたものである。

むしろ川岸工業で仙台工作の株式を取得した事情は次の理由によるものである。

即ち、その頃仙台工作の代表取締役をしていた今野富蔵は、仙台工作のほかに今野振興株式会社という仙台工作と同業の会社を経営していたものであるが、この今野振興は、仙台工作に対して合計金一四、〇〇万〇、〇〇〇円を超える借受金、立替金、工事未収金などの債務を負担していた。そこで右今野富蔵らからの懇請により右債務の弁済および仙台工作の累積欠損の穴埋として仙台工作の株式および不動産を取得したもので仙台工作の収益性に着目してこれを乗取つたものでは決してない。川岸工業の仙台工作に対する投融資額に対する利益率の債権者らの算定も、川岸工業は仙台工作の営業活動を肩代りしていたことの事情、川岸工業の仙台工作に対する短期貸付金は全て無利息無担保であつたのにこの事情を算定の基礎にしないで算出したもの(いわゆる間接費推定利息を算出の基礎にすべきところ)でその計算方法が当を得ず、したがつて川岸工業は仙台工作から不当の利益収奪を図つていたとの事実もない。

ちなみに債権者らの主張する住友金属の利益率についてはその金顧は住友金属の得た推定利息を利益総額算定基準から控除していることは疎乙九六号証からみても明らかである。

(四)  川岸工業が、昭和四二年四月から仙台工作に対する従来の発注方式(元請受注額総額のうち賃加工の部分から約二〇パーセントの金額を控除した額で川岸工業は仙台工作に下請発注していた方式)を改め月間二、〇〇万〇、〇〇〇円のリース料支払制度にしたのも、これは仙台工作の従業員が、川岸工業に対し世間並以上のピンハネをしている旨の疑惑を持つていたので、これをガラス張りにすべく、川岸工業において元請受注額のうち賃加工部分につき右のとおり二〇パーセント控除をせず元受賃加工額全額で仙台工作に下請発注する代りにとつた措置であつて、そのリース料月間二、〇〇万〇、〇〇〇円もそれ以前の川岸工業の仙台工作に対する月間利益約四、〇〇万〇、〇〇〇円と比較すれば仙台工作に対し非常に恩恵的措置をとつたものである。

しかるに仙台工作は昭和四二年四月金三、五六万九、二九八円、翌五月金三、八八万二、五二〇円という新らたな欠損が生じて右安いリース料すら川岸工業に支払えず、しかも仙台地方は全国的に見て非常に受注単価が安いうえ季節的影響を受けやすく、加えて仙台工作の使用している工場設備人員数などが、受注量の多い時季に見合うような規模になつていたこと、東北地方の鉄骨工事は小規模の工事が多く収益性に欠けて生産活動の見通しが立たなくなつたことなどの条件が重なつたため、解散せざるを得なくなつたものである。

したがつて仙台工作の解散は、計画倒産でもなければ仙台工作労組の破壊のためでもない。

第二、債権者らの主張する法人格否定の法理についての反論

いわゆる法人格否定の法理は、アメリカにおいて株式会社法に関する判例の積み重ねの中で論じられるに至つたもので、これは①競業禁止の合意を潜脱する目的で法人を設立した場合②強制執行を免れ又は財産を隠匿する目的で法人を設立しこれに全財産を出資するなどの場合③その他法律の禁止する行為などを敢えて脱法的になす目的で法人を設立するなどの場合など、相手方の保護と取締規定などの立法趣旨を貫くため法人の行為を個人の行為に還元する方法として展開されている理論であるが、これはあくまでも具体的な行為について差止命令を許容したり、法人名義の行為を個人の行為に還元して評価することを許容する理論であつて当該法人の存在自体を一般的に否定する理論ではない(大隅健一郎著、「法人格否認の法理」法曹時報第二巻八号五頁以下参照)。

したがつてこの法理は、法人の観念が公共の便益を打破し不法を正当化し詐欺を擁護し、犯罪を防護するために利用されるときなどの場合というように極めて厳格な反社会的な要件がある場合にのみ適用されるものであつて、いわゆる一人会社(広義において)というだけでは不充分であり、たとえ一個人が特定の事業につき株主有限責任の利益を享有するために一人会社の形態を利用したとしても、また親会社が子会社の全株式を所有し且つ共通の役員事務所を持ち共通の代理人により行動していたとしてもそれだけでは子会社の法人格を否定することはできないというべきである(前掲書四頁以下)。しかも右法理の適用されている事案の多くは脱法行為を禁止する取締的規定の拡大適用の可否が問題となつている事案か、又は諸不当行為の差止を命じ得る法条の拡大適用の可否が問題となつている事案であるから、我が国においては権利乱用の法理などのほか詐害行為の取消の法規定などの活用で充分であつて右理論を導入する普遍妥当性が必ずしもあるとはいえない(西原寛一、「会社制度の乱用」末川先生古稀記念論文集中巻一二三頁以下参照)。

加えて、この法理は、その支持論者においても個々の具体的法規についての解釈論に還元して各個の特殊事情や法規の趣旨に照らし、法人とその背後にある実質的行為主体との同一性を考察することによつて個々具体的に裁判所によつて判断されるべきものとされている(蓮井良憲著、「会社の独立性の限界」私法第一九号一一七頁以下参照)ところからしても、我が国では未だ熟していない理論である。

債権者らは実定的にこの法理が裁判所においても認められたとし昭和四四年二月二七日の最高裁判決をあげているが、この判決例は単に傍論として法人格否定の法理の適用に関して言及したにとどまるもので必ずしも確立した判例ということはできない。したがつて債権者の主張する法人格否定の法理の適用およびこれを前提とする事実主張は全く根拠を欠き主張自体失当というべきである。

(証拠)〈省略〉

理由

第一債権者の申請理由としての事実中

①  第一(債権者らが仙台工作の従業員であつたが、別紙賃金目録記載のとおりの昭和四二年六月分の賃金の支払をを受けていないことなど)の事実、

②  第二の「債務者川岸工業が債権者らに対する関係で法人格否定の法理の適用を受け、債権者らに対し右第一の賃金の支払義務を負担している」旨の部分を除くその余同第二の事実、

③  第四(川岸工業の沿革……一資本構成、二役員構成、三物的設備である所有工場数の変遷と現状、四関連会社数とこれに対する株式所有率役員兼任数ならびに取引関係、五工藤栄およびその一族の川岸工業に対する株式所有率)の事実、

④  第五(川岸鉄工の沿革……一資本構成とその所有有形固定資産、二役員構成)の事実、

⑤  第六の一・二・三・四の(一)(仙台工作の沿革……一資本構成と所有有形固定資産の変遷、二役員および主要幹部社員などの人的構成、三仙台工作と川岸鉄工川岸工業間の営業的関係、四の(一)仙台工作の一般的従業員と川岸工業間の業務上の関係)の事実、

⑥  第七の二の(一)(鉄骨工事の他産業に比しての特質)の事実、

⑦  第七の二の(三)の「川岸工業の意図経営政策などについて記載した主観的部分」を除く同第七の二の(三)の客観的存在部分の事実、

⑧  第七の三の(一)の「川岸鉄工の川岸工業への吸収合併はその設立当初から予定されていたものである。仙台工作は川岸工業と川岸鉄工設立当初から無縁ではなくむしろ親子会社の関係にあつた。仙台工作は従業員の業務の混同人事労務対策生産目標の決定などとあいまつて川岸工業と完全に一体化し、その実体は単に形式的な法律上の合併手続をとらないだけの経済的社会的には川岸工業に吸収合併された会社と同一の実質を有していた。」旨の部分を除く同第七の三の(一)のその余の事実、

⑨  第七の三の(三)(川岸工業の仙台工作から得た利益、川岸工業の仙台工作に対する全投融資額、その他債権者らの主張する計算を基礎とした場合のその利益率)の事実、

⑩  第七の三の(四)のうち「川岸工業は総額約7.8億円の投資をして千葉第一工場を建設した。川岸工業は仙台工作の昭和四一年九月三〇日決算時における累積赤字が五一、三三万四、〇三三円であるといつたことがあること。川岸工業は仙台工作に対し昭和四二年四月からは一切の融資をしないことにしたこと。そして右四月からは月間二、〇〇万〇、〇〇〇円のリース料の支払いを仙台工作から受けることにし、若し仮に同リース料の支払いができないときは川岸工業は勧告なしに直ちに仙台工作に対し貸与している川岸工業仙台工場の明渡しを請求することができる旨の契約を結んだこと。昭和四二年三月の収支決算において川岸工業は仙台工作に対して負担していた工事利益金の支払い債務を自己の仙台工作に対する債権をもつて全額相殺した。」旨の事実、

についてはいずれも当事者間に争いがない。

第二したがつてまず、川岸工業の仙台工作の従業員に対する人事、給与、労務対策の決定、仙台工作の具体的生産目標と経営政策の立案決定に対する川岸工業の関与度および川岸工業の中における関連会社としての仙台工作の位置付け(特に第六の四第七の三の(一)の主張事実関係)などについて判断することにする。

一、〈証拠〉によれば、川岸工業本店総務部脇山発として同人は仙台工場長岩本昭三に親展で「昭和四一年度の仙台工作従業員に対する春季賃上げと同年度夏期一時金支給額の決定およびその発表すべき日と仙台工作従業員砂子江崎の係長任用承認の決定などの指示通知を」昭和四一年七月一日付でなし、この指示通知にもとづき、右岩本昭三は翌七月二日付で右賃上げなどにつき仙台工作労組に対して通知回答をしていること、〈証拠〉によれば、右脇山が右岩本に対し昭和四一年七月九日付で「仙台工作従業員のうち管理職者の昭和四一年春季昇給金額の決定と夏季賞与は無利子貸付にするように」との指示通知を発していること、〈証拠〉によれば、川岸工業の常務取締役である松井鮮二および右脇山は、川岸工業本店総務部松井、脇山名義で右岩本昭三に対し、昭和四一年七日八日付で「昭和四一年夏季一時金の支給は千葉工作方式で仙台工作労組と妥結するように努力すること」との指示を出していること、〈証拠〉によれば、右脇山から仙台営業所長代理高山尚三および右岩本昭三宛に昭和四一年八月二二日付で横領事件を起した前仙台工作経理課長寒河江の解雇処分をその処分理由まで明示して指示していること、〈証拠〉によれば、川岸工業総務部長と右脇山名義で川岸工業仙台営業所長長谷川に対し、昭和四〇年一〇月二日付で「第二〇期仙台営業所の受註目標は月産六〇〇トンとし、その受註単価は七万六、〇〇〇円とすること。尚諸計費の削減を強化すること。」の川岸工業東京支店第二〇期予算決定を通知し、〈証拠〉によれば、右脇山が右岩本昭三および高山経理課長に対し、昭和四一年八月二三日付で仙台工作における昭和四一年七月分の収支実積の明細報告を川岸工業で定めた経費予算などとの対比で要求していること、〈証拠〉によれば、川岸工業が大蔵大臣に提出した第二〇期(昭和四〇年一〇月一日から翌四一年九月三〇日までの営業報告)有価証券報告書の営業の状況工事能力の項目に「仙台工作を含む前記第一の③(債権者ら主張第四の四の事実)の関連会社の使用する生産設備は川岸工業において貸与している関係上当該設備および関連会社の従業員は川岸工業において管理しているので川岸工業の能力として示した」旨記載して右大臣に報告していること、〈証拠〉によれば、川岸工業発行の同社営業案内書および同社入社案内書にはいずれも仙台工作で貸与を受け使用している仙台工場をあたかも川岸工業の直営工場と思わせるように記載していること、〈証拠〉によれば、昭和四一年二月一七日川岸工業が東北電力株式会社八戸火力発電所タービン室鉄骨工事の受註に際して同電力に提出した加工要領書には、職制機構として「川岸工業鉄構本部長福島勲―仙台駐在取締役長谷川玖一―仙台営業所長石峰稜―仙台工場長高橋利一郎同次長兼工務課長永渕日義、同工作課長二階堂都美雄、同機械課長代理高橋秀夫、同工事課長代理鹿野文男」と記載していること、そして川岸工業の受註活動および仙台工作の作業活動は現実に右職制指揮系統と作業で行われていたこと、〈証拠〉および弁論の全趣旨によれば、仙台工作の総務課長坂本三治が昭和四〇年一一月一〇日川岸工業本社に出張した際、同人に対し、川岸工業会長松本万里は「労務政策の基本事項は川岸工業本社で指示する。」旨、同川岸工業常務取締役松井鮮二は「仙台工作は法的には独立会社であるが、川岸工業の中で物事を考えること、物品の調達は従来一、〇〇〇円以上のものはすべて報告事項となつているが、これは一万〇、〇〇〇円以上にしてもよい。」旨、同川岸工業代表取締役専務東京支店長兼仙台工作代表取締役福島勲は「仙台工作の従業員に対する賃金は査定配分を加えるようにせよ。手袋の配分は千葉工作の状況を見て決定すること。現在一時金の支給については仙台工作独自の妥結は考えていない。」旨各訓示をしたこと、の各事実を認めることができ、そしてこの事実と〈証拠〉および前記第一の⑤⑦⑧の事実(仙台工作の株主は川岸工業唯一人であることのほか、役員および主要幹部社員などの人的構成、仙台工作は川岸工業の専属的下請会社であつたこと川岸工業仙台営業所の業務と仙台工作従業員の業務関係―債権者ら主張第四の二・三・四第六の一・二・三・四の(一)第七の三の(一)の事実)ならびに弁論の全趣旨によるときは、仙台工作の経営は、従業員に対する人事、給与労務対策の決定および仙台工作の具体的生産目標と経営政策の決定に至るまで全てに亘り川岸工業の現実的統一的指示によつてなされていたものであることが認められ、以上の認定に反する〈証拠〉の記載部分は右認定に照らしたやすく措信することはできない。

二、したがつて前記一の⑤の事実(川岸工業仙台営業所の業務と仙台工作従業員の業務混同関係……債権者ら主張の第六の四の(一)の事実)が仮に債務者の主張第一の二の(三)のとおり仙台工作の全従業員数からみれば二ないし三パーセントに過ぎないことなどの事情にあつたとしても、同業務の混同関係は、仙台工作の川岸工業に対する自主的サービス的なものとして生じたものではなく、右川岸工業の仙台工作に対する現実的な完全支配による結果として生じたものと推認せざるを得ず、かような意味において遅くとも川岸工業が仙台工作の全株式を取得してからは仙台工作は川岸工業に資本的にも業務的にも現実的統一的に完全に支配された子会社であるということができる。

第三そこで次に石川岸工業と仙台工作との事実関係のもとに債権者らの主張する法人格否定の法理について論究することにする。

一、法人格否定の法理とは「一定の会社が、法が積極的に認める会社の経済的社会的有用性の目的範囲を事実上潜脱してその構成員たる社員(株式会社であればその株主)に利用される場合、その会社に対する債権債務関係者に対する関係で法の求める衝平の観念からして裁判所において当該会社の独立した法主体性に限界を画し、その限界をはみ出る部分について法人格の構成社員に対する独立性を否定することができる。」とする理論であつて、これは、債務者が主張するように必ずしも会社制度が乱用される場合にのみ適用される法理ではなく、また会社法人格を一般的画一的に否定する理論でもない。

そして会社の存在がそれ自体乱用に至らない場合でも法人格否定の法理が適用される場合としては「会社の行為が法律上のみならず、事実上も別個独立の法主体でなければならないことを前提とする法律解釈において、事実上その会社の社員たる個人が会社形態の背後に隠れていながら法律上社員とは別個独立した会社の行為として自己の目的実現のために法律関係に関与しているような場合」などがあげられ、会社形骸によりその構成社員に直接責任を認める理論(昭和四三年(オ)第八七七号事件昭和四四年二月二七日最高裁第一小法廷判決参照)もその適用の一場面ということができ、この一適用場面を更に推究すると、結局はこれは、社員個人が、会社の財産業務などを事実上完全に支配してその個別的独立性に一線を画することができず、事実上社員たる個人と会社たる法人が法的形式的には独立した法主体性を有するに拘らず社会的経済的にこの二者が包括した一個の単一体を構成していること(例えば右二者が人的物的又は業態上混同しているような場合)に着眼して法人格否定の法理を適用しようとしているものということができる。

してみると法の認める会社制度の存在目的からして法人格否定の法理は我が法制においても法の究極の目的である正義に適うものであるとともにまた会社法を貫く企業維持の原則に悖るものでもないから積極的に採用すべきものということができ債務者のこれに反する主張は法的安定性の名のもとに会社債権者の利益を犠牲にしいたずらに会社社員の利益のみを擁護する硬直した見解といわざるを得ない。

二、さてそこで右法人格否定の法理を社員が法人である場合の親子会社特に株式会社に当てはめて考察することにする。

(一)  株式会社の株主有限責任制度は法律によつて認められたものであるが(商法二〇〇条)、これは事業資本の調達に資する経済的効用を有すると共に、個人を株主とする株式会社においてはその株主に有限責任の特権を認めることによつて集約形成した株式会社そのものの存在自体が企業活動の面において社会的効用を果しているということができる。したがつて個人を株主とする株式会社の株主有限責任をみだりに否定することはこれはとりもなおさず右株式会社の社会的効用を否定することになる。しかしながら法人を株主とする株式会社の株主有限責任を否定してもその株主たる法人と株式会社とが経済的社会的に一個の独立した単位を構成する場合は同株主となつている法人の構成員である個人の株主有限責任を否定しない限りこれは右株式会社の社会的効用に反するということはできない。むしろ株主たる法人の構成員は既に自己が直接所属する法人自体の企業活動において有限責任の特権を享受しながら更にその所属する法人が他の株式会社の株主になることによつて実質的には二次的有限責任の特権即ち二重の特権を有することになる。

有限責任の原則は右のとおりその有する社会的効用の要請から法によつてその法人に対する債権者の利益を犠牲にしてもこれを正しいとして認めたものであるが、債権者の犠牲のうえに個人株主に対し有限責任の亨受し過ぎ(二重三重の有限責任)を積極的に是認しようとするものではない。けだし有限責任の原則の亨受し過ぎを積極的に容認することは法自体が有するところの自己目的である衡平を法自から否定する矛盾を冒すことになるからである。

したがつて法人格否定の法理は株式所有による親子会社には個人株主によつて構成される株式会社よりは会社自体の形骸性を問題にしなくとも容易に適用される場合が多いであろう。

(二)  しからば法人格否定の法理にしたがい子会社の債権者に対する責任を親会社において右子会社に対する独立性を否定されて負担する責任条件とはいかなる場合であろうか。

これは第一に親会社とは前記のとおり経済的に単一の企業体たる実体を有すること、第二にその企業活動の面において親会社の子会社に対する管理支配が現実的統一的でその活動そのものの実質に経済的又は社会的に単一性を有することが必要と解すべきである。なぜならば、企業体の実体が経済的に単一性を有したとしてもこれだけでは法律的にも直ちに単一体と評価することができず、むしろ親会社の現実的な統一的管理支配が欠けるときは、それは法人格が形式的に別個独立のものとされる限りその社会的又は経済的活動の単位面からみればかえつて企業活動そのものの分離独立を示すことになり、また法人の社員から独立した法主体性はその企業の独立した社会的又は経済的に単一な企業活動自体に社会的有用性があるからこそ法がこれを付与したものということができるからである。

(三)  そこで更に右企業の経済的単一性の内容を明らかにするに、それは親子両会社が財産的物権的に同一体となつていることであるからこれが混同はその典型ともいうことができるが、結論的には右混同状態に至らない場合でも親会社が子会社の業務財産を一般的に株主権を行使して支配し得るに足る子会社の株式を所有すること(一人会社がその典型である)を持つて足りるというべきである。けだし、例えば一人会社即ち親会社が子会社の全株を所有するときは、親会社の株主からみれば究極においてこの親子両会社の財産的物権的関係は株主の株主権を通じての財産処分権の面からみて全く同一体の関係にあるということができ(会社解散による当該会社の財産に対して有する株主の処分権を想起するとこのことは容易に肯定されよう)、また、企業活動の面からみて株主たる親会社が株主総会において子会社の取締役を自から選任し、その取締役の業務執行行為を通じて子会社の財産を一般的物権的に管理支配するのでなければ親子両会社の財産は物権的にも管理支配の面からしても全く同一体の関係にあるということができないからである。

(四)  しかしながら、右二条件が具備した場合に子会社に対する全ての債権者は法人格否定の法理の適用を主張できるであろうか。これは否定すべきである。なぜならば、右債権者には、自から任意的積極的に子会社との取引を選択してこれに対し信用拡大を図つた能動的債権者と消極的に因果の関係で債権者となつた受働的債権者とがあるが、右能働的債権者に対する関係においても法人格否定の法理の適用を許すとすればそれは自己責任の原則に悖ることになると共に右会社債権者を過度に保護することになつて衡平を目的とする法の理念に反することになるからである。

したがつて子会社に対する親会社の法人格の独立性が一定の債権者に対する関係で限界を画され子会社の責任を親会社において自からの責任として負担すべきものとされるための条件としては、第一に親会社が子会社の業務財産を一般的に支配し得るに足る株式を所有すると共に親会社が子会社を企業活動の面において現実的統一的に管理支配していること、第二に株主たる親会社において右責任を負担しなければならないとするところの債権者は、親会社自から会社制度その他の制度の乱用を目的として子会社を独立し又は既存の子会社を利用するなどの事情がない限り子会社に対する関係で受動的立場にあるところの債権者に限ること、しかも親会社と子会社との間に右第一の支配関係があるときは子会社の受働的債権者に対する債務関係は常にしかも重畳的に親会社において引受けている法律関係にあると解するを相当とする。そして「支配あるところに責任あり」の法原則からしてもこのことは容易に肯首することができるであろう。

三、さてしからば債権者らは申請外仙台工作に対する関係において如何なる債権者的立場を有するかというに、前記第一の事実によればその決議および意思表示の有効無効は別として会社解散による解雇の意思表示を受けるまでは直接右仙台工作の従業員たる身分を有しており、本件請求債権は債権者らが仙台工作に対して直接労務を提供した代償としての債権であることが明らかであり、しかもその請求債権は、債権者において任意選択して仙台工作に入社した結果生じたものとしてもこれは積極的に仙台工作との取引を選択して自己の信用拡大を図つた債権者ということができず、むしろ雇傭関係における債権者の地位は使用者において一方的に定めた就業規則によつて継続的に労働条件の全てを拘束される(労働基準法八九条、九〇条、九三条参照)ところからするならば、その法的性質をいかように解するとしても(例えば契約説と法規説の対立)使用者の一方的意思によつて支配された従属労働関係にあつて、その賃金債権もこの従属労働関係から生じた債権であるということができるから、債権者らはその実体において仙台工作の一方的意思により因果的に支配された受動的債権者というべきである。しかも前記第一の⑤の事実および第二の一・二の認定事実によれば、債務者川岸工業と申請外仙台工作との関係は、親会社である川岸工業が子会社である仙台工作の業務財産を一般的に完全に支配し得る全株式を所有しているうえ、親会社である川岸工業が子会社である仙台工作を企業活動の面において現実的統一的に完全に管理支配していることが明らかであるから前記第三の(四)で指摘する第一の条件を完全に具備しているということができる。

四、したがつて債権者らの解雇が、債務者川岸工業の不当労働行為によるものとして無効となるときは法人格否定の法理により債権者らに対する雇傭関係についての責任も親会社である債務者川岸工業において引受けているものと解すべきであるが、本件においては債権者らのその余の主張について判断するまでもなく、債権者らの有する賃金債権について債務者川岸工業は前記法人格否定の法理の適用を受け、その支払義務を負担していると共に前記第一の①の事実によればその債権の保全の必要性が存在することは明白である。

第四よつて以上の理由によるときは債権者らの本件申立は全部正当であるからこれを認容することにし、訴訟費用の負担については民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり決定する。(藤枝忠了)

債権者目録・賃金目録〈省略〉

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